ドラクエ考察はくぶつかん

ゲーム内では語られていない疑問点について考察します。ネタバレ注意。

【ドラクエ5】主人公がいつ・誰に文字の読み方を教わったのか考察

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ドラクエ5の主人公が幼年期(6歳)の時に立て札などを調べると「~しかし〇〇はまだ文字が読めなかった!」という表記が末尾にされます。

一方、青年期になるとこの表記はされなくなれます。サンタローズにて天空城に関する記述がされた本が正確に表示されるようになることからも、主人公が文字を読めるようになっている様子が伺えます。

 

しかし、現代日本にいると忘れがちですが、人間は教育を受けずして文字を読めるようにはなりません。

そこで、ドラクエ5の主人公がいったいどのようにして文字が読めるようになったのか考察します。

文字が読めるようになったのはドレイ時代

幼年期最後の舞台であるラインハット周辺。この時点でも主人公はまだ文字を読むことができません。これはラインハットと古代の遺跡の間にある毒の沼地の立て札などから確認することが可能です。

参考:【毒のぬまち キケン!入るな!】 - ドラゴンクエスト大辞典を作ろうぜ!!第三版 Wiki*

この直後、古代の遺跡にてゲマに連れ去られ、10年にわたるドレイ生活を送ることになります。そこから逃げ出した後では既に文字が読めるようになっているため、文字について学んだのはこのドレイ期間で確定です。

ドラクエ5のCDシアターが示す答え

ドラクエ5のCDシアターでは奴隷仲間だった学者に文字を教えてもらったという話が挿入されています。

はい、早速結論が出てしまったのでこの話はここで終了・・・とはいきません。

CDシアターは確かにある程度原作のストーリーに忠実に作られていますが、妖精の村の村長であるポワンが妖精王のポジションになっていたりと原作とはいくつか矛盾する点も含んでいるので、個人的には奴隷仲間に教えてもらったというのも可能性の1つに過ぎないと考えています。

 以下、あくまでゲームの作中から読み取れる情報のみで主人公が文字を読めるようになった理由を考えていきたいと思います。

主人公は誰から文字を教わったのか

「ドレイ時代に誰かから教えてもらった」という情報は出揃っているので、ここから考えられる可能性は2通りです。

  • 大神殿側の人間に教えてもらった
  • 奴隷仲間に教えてもらった

大神殿側の教育

建設初期工程の知的労働

作中の様子を見る限り、基本的にドレイたちは単純な肉体労働しかさせられておらず、知的な労働は全て大神殿側の人間がやっているように見えます。

しかし、作中で見られるのはあくまで主人公たちが神殿から逃亡する直前の描写のみです。もう少し建設の初期工程にさかのぼると、文字の読み書きが必要な作業もさせられていたとは考えられないでしょうか。

 

さらってきたドレイたちの中には主人公のように十分な教育を受けていない人間も多かったでしょうから、まず簡単な教育を受けさせたという可能性もなくはありません。

ドレイに対する非常な仕打ちを見る限り、たとえ生産効率を上げるためだとしても教育を施すという行為が行われたとはイメージし辛いですが、可能性の1つとして挙げておきます。

イブールのほんを用いたドレイ洗脳教育の効率化

文字の読み方を教える理由がもう1つ挙げられます。

なにせ光の教団の本拠地と言うこともありますし、ドレイたちに対する洗脳教育が行われていたと仮定してみます。

すると、「イブールのほん」という経典もあるぐらいですから、洗脳を行うには経典の文字が読めた方が効率が上がりそうです。つまり、洗脳を効率的に進めるためにあえて文字の教育を行ったという視点が出てきます。

 

ドレイを意欲的に働かせるためには意外と悪い方法ではないのではないでしょうか。なんだか現実世界のブラック企業における新人研修を彷彿とさせますね。

ただ、主人公たちが逃亡する直前の周囲のドレイたちの様子を見る限り、誰も光の教団を信仰している様子はありません。

 

なので、この仮定が正しいとするのであれば、洗脳が効いていたのは初期の頃だけで10年にわたる過酷なドレイ生活を支えるには不十分だったと結論付けられます。

奴隷仲間による教育

CDシアターにあるように奴隷仲間から文字を教えてもらったという説ですが、僕はここでヘンリーの存在に触れたいと思います。

ゲマに連れ去られた後、主人公はヘンリーに対する恨みはなかったのでしょうか。パパスが命を落としたのはヘンリーを救出しようとしたからですし、誘拐されたのはヘンリーがラインハット城内で人目に付かない場所へ隠れていたためなので、間接的とは言えパパスの死の原因は彼にもあると言えます。

 

初対面での主人公に対する態度の悪さもありますし、主人公のヘンリーに対する心証は決して良くはなかったはず。

 しかし、10年後の主人公とヘンリーの関わり方を見る限り、そこまで2人の関係が悪いようには見えません。主人公のセリフがないので実際のところは分かりませんが、過酷なドレイ生活を共にするうちにわだかまりが解けていったのではないかと思います。

 

 僕は主人公とヘンリーが話すきっかけとして文字を教えるという行為が潤滑油的役割を果たしたのではないかと想像します。

そう考える理由は両者にメリットがあるからです。

  • ヘンリー側:人にものを教えるという行為で自尊心を満たすことができる
  • 主人公側:自分の成長とヘンリーとの関係の再構築

ヘンリー側のメリット

ヘンリーのラインハットでの素行を見るに、余り真面目に勉強していた様子は伺えません。しかし、腐っても王族。文字の読み書き含む基本的な教養ぐらいは身に着けていたことでしょう。したがって、主人公に教えるための素地は整っていたと考えるのが自然です。

ヘンリーが主人公に文字を教えるメリットは自尊心が満たせるという点です。

王宮生活から奴隷生活へ身を落とした彼の生活レベルの落差は主人公の比ではありません。元王族のプライドがあるばかりに耐えがたいこともあったはずです。そんな中、人にものを教えることでささやかですが自尊心を満たすことができます。

 

また、間接的とは言え自分のせいでパパスが死んでしまったという立場上、主人公に教えてほしいと頼まれたら断り辛いでしょう。

以上の理由から、ヘンリーが主人公に文字を教える可能性は十分にあります。

主人公側のメリット

「目が死んでいないドレイ」と称されたように、主人公は過酷な奴隷生活の中でもいつか来る再起のチャンスに備えようとしていたはずです。

心身ともにより強くなるための一環として、文字の習得にも励んだことでしょう。そんな時、元王族から得られるものもあるという思いに至ったのかもしれません。

 

ヘンリーに対する心証は決して良くなかったはずですが、自己研鑽という大義名分のもとに嫌いな相手に教えを請うこともいとわないぐらいの覚悟はあっただろうと想像します。

加えて、周囲の人間関係を良好に保つこともまた自分を利する行為ですから、文字を教わることをきっかけにヘンリーとの関係を良くしていこうという魂胆・・・と言うと聞こえは悪いですが、少なくとも「コイツは嫌いだ」という感情だけで自分の成長を妨げるような選択をするほど甘い考えは持っていなかったことでしょう。

 

ですので、僕はCDシアターで言うところの「奴隷仲間から教わった」という点を「ヘンリーから教わった」と解釈することで腑に落ちる点があると思っています。

まとめ